2008年3月8日土曜日

【Book】豊かさとは何か(暉峻淑子)

更新が滞っていたのでまとめて!

--豊かさとは何か
モノとカネがあふれる世界一の金持ち国・日本。だが一方では、環境破壊、過労死、受験競争、老後の不安など深刻な現象にこと欠かず、国民にはゆとりも豊かさの実感もない。日本は豊かさへの道を踏み間違えた、と考える著者が、西ドイツでの在住体験と対比させながら、日本人の生活のあり方を点検し、真に豊かな社会への道を探る。(要約より)

最近考えていた問いに対して書いていて、とても共感を得た本。
一番おどろいたのは、この本が1989年に書かれたということ。
20年弱が経っても、自分がこうして同じ問題意識を持ってしまっていることが複雑だ。

いざとなっても、誰からも助けてもらえない不安と、ひとなみから排除されてしまう不安とで
強迫神経症のように、はてしない飢餓感におわれる日本人はどこまでも金を貯め続ける…(中略)

人間の生活にとってのカネとモノは、本来、生活に必要なだけあればよいのである。

人生にとってカネは手段であり目的ではない。家族や愛する者との健康で楽しい生活。
趣味、生きがいのある仕事。人生の充実感、無目的な友情、自然とともにある安らぎ。
それらが充たされれば、マネーゲームに目を血走らせる必要はないはずである。

ヤップ島に行って感じたこと、まさにだ。
しかし現実の社会の上でどこに活路を見出すのか。

清算の増大は、ある点を越えれば、欲望を育成するようになり、生産が急速に増加するのに
比例して、需要も急速に増加する。

強者は、自由競争から免れて独占力の上にあぐらをかくことも許されるが、
弱者は競争のきびしさにかりたてられねばならなかった。

一般の市民にとって、競争は不安の種であり、人々を自己防衛に走らせる。
自己防衛と不安の中では、人間の気持ちを満足させることはできないであろう。

このような話は本当に難しい。
資本主義を否定することは本意ではないし、
かといって今の社会システムは変革を求めていると思う。

豊かな社会の実現は、モノの方から決められるのではなく、人間の方から決めなければならない。

これに対して、西ドイツでの生活の経験などを引用して
富を投資ではなく人に使う社会福祉の充実という点や、
可処分時間などによって説明している。

本当の豊かさを実現するためには、まず、それぞれが、自分自身の豊かな人生の実現とは
どんな生き方なのかを、理論的にだけでなく身体的にも知らなければならない。

激しく同感。

そして生態学者が言う「豊穣」という言葉は、
もともと生物にとって多くの種が共存していることというように、
すべての個人の生をそれぞれが豊かに生きることでしかないと思う。

ピラミッド構造の上位数パーセントしか生きられないのであれば
戦いあって争奪するしかないと思うけれども、
みんなが笑顔で生活できるのならそっちを選びたい。※

とうしたらいいんだろう。
ふぅむ、答えは難しいけど、まず国内で言うと所得の再分配なのかな。


※補足
http://www.new-agriculture.net/blog/2006/10/post_18.htmlより

>総務省統計局の。日本の統計年鑑「第27章国際統計」を調べてみました。
27-5に農畜産物生産量及び漁獲高のデータがあります。
それで、単純に各生産高を世界人口で割って1日当りの供給量に換算してみました。

穀物  :約20億t=約900g
m146 根茎作物:約7億t =約300g
m178 豆類  :約5千万t=約25g
m270 野菜果実:約12億t=約600g
m233 肉   :約2億t =約90g
m297 牛乳  :約5億t =約250g
m271 鶏卵  :約5千万t=約25g
m180 漁獲高 :約9千万t=約40g

これを我々の日常の実感ベースで考えてみると・・・
米なら1合で150g(茶碗に2杯程度)なので、1日6合(茶碗で12杯)!年間で約320kg!になります。現在の年間米消費量が60kg、戦前で150kgなので、有り余るほどの量になる。

こういう現実をリアリティを持って知るためにはどうしたらいいんだろうか。

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