きのう、重大な決断をした。
思えばこの2週間、
いろいろなことがあった。
清里での4日間で自分の生の感情がよみがえり、
その後、偶然とは思えない必然的な出会いの数々。
ネガティブな理由もいくつかあるが、
でもそれだって、今ではポジティブに捉えられる。
すべてが必然の、一本の糸でつながる感覚。
いろんなところで有名な人が話していたりするが、
決断の時って、こういう感覚なのかもしれない。
余計な力が入っていなくて、迷いも不安もなく、すっと腹がきまる感じ。
ほんとに、湧き上がってから三日と経たずに結論が出た。
失うものがなくなった状態は強いんだなって思う。
思えば半年前、
どんなに考えても最後の決断ができなかった。
考えれば考えるほど、
相談すれば相談するほど
自分が大切にしたいものから遠ざかっていく感じ。
形になりやすいもの、
見えやすいもの、分かりやすいものを求めてしまう。
自分の弱さ、依存心、臆病な気持ち。
そして気がついたら、「就職活動→一般企業」というものに対して
自分が正しいと思うオルタナティブな道を切り拓いくはずが
表面上は起業だが、結局は同じ方向に向かっている自分がいた。
「それが本当にやりたいの?」
答えられない自分がいた。
やりたいこと、それをビジネスプランに落とし込む。
ビジネスプランをかかないと動いちゃだめなんじゃないかとさえ思っていた。
形あるものに依存していくあまり、
自分の生の感情が見えなくなっていた。
上から言われたら、すべて受け入れないといけないと思い込んでいた。
そして、自分の小っぽけな鼻くそみたいな
成功体験を失うことを恐れていたのかもしれない。
どうせ誰も期待なんかしてないのに、そんなものを守ろうとする。
まあ人間そんなもんやと思うけど、
反面、今回のように、ふと湧き上がってくることもある。
自分にとってのリスクってなんやろうって考えた時、
あ、後悔かもって思った。
100m10秒を切ることにどれほどの意味があるのか。
社会的には、世間的にはすごいことかもしれない。
でもそんなもん、ほんとは他人事で、そこに主体性はない。
一人の人間として見た時、
ドーピングで身体をボロボロにしてまで10秒を切ることにどれほどの意味があるのか。
10秒を切った時、どう思うだろう。
10秒を切れなかった時、どう思うだろう。
10秒を切ろうとする過程の中で死んだら、どう思うだろう。
そう考えると自分は、毎日走りたいと思う気持ちを大切にしたい。
走りたい。 だから走る。
その結果、10秒を切れるかもしれないし、切れないかもしれない。
そう考えると、もちろん10秒を切れたらうれしいやろうけど、
10秒を切れなくてもポジティブな感情が残るやろう。
来月死んだとしても、本当に走ることが好きなのなら後悔はないはず。
今の俺らは、すぐに目標を立てようとしてしまう。
最短距離を走ろうとしてしまう。
よいか悪いかはおいといても、そんな自分は必ずいるもんだ。
でも、今の自分を見ようとしない自分は、
三年後の自分も見ることはできないだろう。
「とりあえず3年」って言う人は、きっと3年後も「とりあえず」って言っちゃう。
全力で動くことができれば、
成功しても失敗しても次につながることは間違いない。
経営者の視点で見れば、自分は一生懸命なにかに挑戦して
たとえ失敗したとしても、そんな人と働きたいな。
もちろん成功した方がいいかもしれないけど、
一生懸命失敗した人の価値ってすごくあると思う。
そう考えるとリスクってなんなんだ???
いつもこの感覚は忘れないように。
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