2008年3月12日水曜日

【Book】ウンコに学べ(有田正光/石村多門)

以前に読んだままだった本。
(読んだまま放置している本がまだ多数・・・)

この本、タイトルに似合わず、かなり中身は濃いです。

いわゆる「環境問題」を自分と切り離して捉えるのではなく、
自分の存在と負の側面(ウンコ)に目を向け向き合うことが大事
というメッセージがとても本質的であったりする。

ウンコもまた、水洗便所のレバー一つで跡形もなく消えてしまう。
それはもはや魔術である。・・・
しかし、一時的に目の前から消えたとしても、ウンコは他所へ運ばれるだけで無論のこと
なくなったりはしない。・・・自分がウンコをしたことさえ見に覚えがないとしらばっくれたり
出来そうにも思われる。・・・

環境問題に向き合うとは、まずは自分がしたウンコに向き合うということでなくてはならない。(pp.8)

なぜ環境問題に取り組まなければならないのか。・・・
環境は事故であり、環境が破壊されれば自分が否定されるからなのである。
個性がなければ生きられない、生きている資格がない、と商品社会は広告するが、
それは真っ赤なうそである。ものを食い、ウンコをできれば十分立派に生きていける。(pp.158)

今日聞かせていただいた
「環境教育基礎講座」にもつながるところがあった。
(こっちはこっちで約5時間で相当な学びがあった!)

最近の小学生はトイレでウンコをできないとのこと。
(自分のときもあった気がするが、、)

それに対して作者は、ウンコは生きていくために必要不可欠な行為であり、
そのことを理解させることが「自立」ではないかといっていて、これには納得しました。
大事なことがずれてるよなー。

2008年3月11日火曜日

【Book】意識とはなにか(茂木健一郎)

その気になれば「やさしい問題」を「むずかしい問題」として考えることができるのにもかかわらず、
あえてそうせずに、「やさしい問題」として扱う「ふり」をして、日常を生きている。(pp.126)

それまで女学生のようにはしゃいでいた女の人が、自分の子どもが出現すると同時に母親になるのも
ある人の心の状態に強烈な作用を及ぼす「他者」という存在がいてこそのことなのである。

私たちが、心の中で<あるもの>が<あるもの>であることをめぐる問題について、
それをむずかしい問題として一日中考えるというようなことを決してせず、
たいていの場合は「赤」とはなにか分かりきったことのような「ふり」をしているのも、
他者とコミュニケーションしなければならないという強烈な圧力があるからである。(pp127)

自分の体験をプライベートなものとしてとらえる態度(ふり)と、他者とのコミュニケーションへ向かって開かれたものとしてとらえる態度(ふり)の間を行き来するということが、私たち人間の本質である。(pp128)



ものごとを突き詰めていくということは
他者を外した内なる自分とのコミュニケーションになるのだ。

だから行動が必要なんだな。

身体を動かしながら、考える。
逆は自分には向いてない。

自分のことって、分かっていたようで分かってないもんだ。

【Book】身体から革命を起こす(甲野善紀)

小成は大成を妨げる次第の要素である。そこそこの成功は、それ以上のものを追及させないための強力な目隠しとなる(pp.40)

たえず極限的な状況を設定して、死という否応ない現実に向き合おうとする中で
ギリギリの能力を発揮することで、それまで自分が現実と思い込んでいた世界を破壊する。(pp.55)

自分で薪を作って、火をおこして、飯を炊いてっていう、人が山の中にいて
生活するための基盤になることをある程度見につけて送ってことは、
どんな仕事についてもいろいろと役に立つと思いますね。
やっぱり身体を使ってやるって言う体験がないと、言動がどんどん空洞化していきますから。(pp.290)

身体がなまっている。
感覚も鈍化している。

やっぱ身体を動かすしかないな。

日記

昨日読んだ
「自分の仕事をつくる」(西村佳哲)にインタビュー記事が載っていたことがきっかけだ。

モノづくりの基本は、やはり"身体"というアンテナですよね。

僕は自分の個人的なことを、きちんと掘り下げて、一つ一つ形にしていきたい。
別に一万人を相手にしなくたっていいでしょう?

今の社会は全員が余所のもので余所のことをやっていて、
その結果誰も幸せになっていない感じがするんだな。

僕の理想は、人間が一日で歩ける半径40キロくらいの範囲で
野菜や水など必要なものが手に入り、その地域のなかで循環できること。
足下の衣食住のような、ごく小さなことのつむぎ上げが文化だと思うんです。

これらの言葉が胸に刺さった。
「この人に会うしかない!」と思い、失礼を承知の上で電話した。

反応は「伝えておきますので、折り返しお電話します」とのことだったが、
・こんな素敵な感性を持たれた方が選んだ場所を見たかった
・なんとなく会えるような気がした(待っていても会えない)
という二点から、無理ならカフェでお茶して帰ればいいと思い見切り発車。

その後電話をいただき、
すでに向かっているのなら仕事が終わったあと時間を少しいただけるとのこと。

結論から言うと、行ってよかったの一言。

すべてが想像以上。
空間の質というのか、なんというのか。
建物が存在する周りの空気が異なっていた。

大げさでなく、今まで生きてきた中で最も気持ちのよい空間だった。
自然とここまで調和することが可能なんだということを知った。

「昔ながらの暮らしは壊れていくもの。
だから、未来につながるものにしないといけない。
Refineしないと存在価値はない」

とお話いただいたのだが、

「ああ、こういうことなんだ」とすべてに合点した。


*今日いただいた言葉と気づき*

一人の人間として魅力が溢れている人、
世界中どこにいっても生きていける(価値を生める)人を
自分は本物だと思うのだということ。

「まだ間に合うから全部捨てたら?」
⇒自分はたくさん不要なものを持ってしまっている。

「身体を動かさないと。一歩を踏み出して、そこで動けば次が見えてくる。
頭で考えていてもなにも生まれないよ」

「きみはなにもやってないのに、10歩先を読もうとしている」

「きみは自分のことばっかり考えている。愛情がない。愛情を注いでいくとうまくいくんだよ。」
⇒最近の自分は、自分のことしか考えられてなかった。

「イメージを持って身体を動かし続ける。成功するためには、やり続けることしかない。」

「世の中には必要のないこと(仕事)が多すぎる。必要のないこと(仕事)を生む社会システムが不幸な人をつくってる。必要最低限のものを精一杯つくって循環する社会がよい」

「今に生きなさい」
⇒今を生きるんじゃなくて、今に生きる。

「シンプルなことなんだよ、世の中は。シンプルに生きなさい」

**
衝撃的な一日でした。

2008年3月10日月曜日

今日のできごと

今日はひさしぶりにいろいろ考えたいことがあったので
予定をキャンセルして房総半島へ一人旅。

といっても電車に乗ったまま内房線⇒外房線で
車内で一周まわってきたのですが、意外と時間がかかった。

本をがっつり四冊も読めました。
陽のあたる車内でゆっくり読書ってのは幸せなもんです。

あ、ちなみに四冊は
・自分の仕事をつくる(西村佳哲学)
・ウンコに学べ(有田正光)
・身体から革命を起こす(甲野善紀)
・自然資本の経済(ポール・ホーケン)←途中

今日はかなり気づきが多かったです。
ちょっとまとまらないのですが、
いまぜひ会いたい人を発見してしまったので
明日電話してみようと思います。

ずぼらな自分への有言実行として記しました・笑

2008年3月9日日曜日

【Book】日本文化の形成(宮本常一)

前々からこの人の本を読みたいと思っていたものの、
ちょっと選書を誤ったかも、、
(というか図書館に欲しい本がなかった!)

古事記や日本書紀をもとにして
各地の民俗を調査した経験を交えて持論を展開する。

個別にミクロな事例ばかりなので、
歴史について造詣の浅いがゆえによく分からなかった…。

感想としては、
いまは急激に社会が変化するドッグイヤーだといわれるけど、
日本を形成してきた人たちも大きな変化を経験していることがイメージできた。

沖縄の話では、さまざまな事情から島を航海したことが書いてある。
まず目に見える島まで自分たちのもっている資源をつかって
試行錯誤して渡っていったのだろう。

そこから、見えないところへ初めに渡った人はどんな気持ちだったのだろうか。

たしかにシリコンバレーの人たちもすごいと思うけど、
昔々、海原に出た人たちの挑戦はまさに命懸けだったはずだ。

なにがそうさせたのか・・・争いか、、食糧不足か、、

ひょっとしたら男のロマンで出て行ったのかもしれないし、
人は変化をしなければ生きていけない生き物なのかもしれない。

「不可能」という概念を改める必要がありそうだ。

2008年3月8日土曜日

【Book】豊かさとは何か(暉峻淑子)

更新が滞っていたのでまとめて!

--豊かさとは何か
モノとカネがあふれる世界一の金持ち国・日本。だが一方では、環境破壊、過労死、受験競争、老後の不安など深刻な現象にこと欠かず、国民にはゆとりも豊かさの実感もない。日本は豊かさへの道を踏み間違えた、と考える著者が、西ドイツでの在住体験と対比させながら、日本人の生活のあり方を点検し、真に豊かな社会への道を探る。(要約より)

最近考えていた問いに対して書いていて、とても共感を得た本。
一番おどろいたのは、この本が1989年に書かれたということ。
20年弱が経っても、自分がこうして同じ問題意識を持ってしまっていることが複雑だ。

いざとなっても、誰からも助けてもらえない不安と、ひとなみから排除されてしまう不安とで
強迫神経症のように、はてしない飢餓感におわれる日本人はどこまでも金を貯め続ける…(中略)

人間の生活にとってのカネとモノは、本来、生活に必要なだけあればよいのである。

人生にとってカネは手段であり目的ではない。家族や愛する者との健康で楽しい生活。
趣味、生きがいのある仕事。人生の充実感、無目的な友情、自然とともにある安らぎ。
それらが充たされれば、マネーゲームに目を血走らせる必要はないはずである。

ヤップ島に行って感じたこと、まさにだ。
しかし現実の社会の上でどこに活路を見出すのか。

清算の増大は、ある点を越えれば、欲望を育成するようになり、生産が急速に増加するのに
比例して、需要も急速に増加する。

強者は、自由競争から免れて独占力の上にあぐらをかくことも許されるが、
弱者は競争のきびしさにかりたてられねばならなかった。

一般の市民にとって、競争は不安の種であり、人々を自己防衛に走らせる。
自己防衛と不安の中では、人間の気持ちを満足させることはできないであろう。

このような話は本当に難しい。
資本主義を否定することは本意ではないし、
かといって今の社会システムは変革を求めていると思う。

豊かな社会の実現は、モノの方から決められるのではなく、人間の方から決めなければならない。

これに対して、西ドイツでの生活の経験などを引用して
富を投資ではなく人に使う社会福祉の充実という点や、
可処分時間などによって説明している。

本当の豊かさを実現するためには、まず、それぞれが、自分自身の豊かな人生の実現とは
どんな生き方なのかを、理論的にだけでなく身体的にも知らなければならない。

激しく同感。

そして生態学者が言う「豊穣」という言葉は、
もともと生物にとって多くの種が共存していることというように、
すべての個人の生をそれぞれが豊かに生きることでしかないと思う。

ピラミッド構造の上位数パーセントしか生きられないのであれば
戦いあって争奪するしかないと思うけれども、
みんなが笑顔で生活できるのならそっちを選びたい。※

とうしたらいいんだろう。
ふぅむ、答えは難しいけど、まず国内で言うと所得の再分配なのかな。


※補足
http://www.new-agriculture.net/blog/2006/10/post_18.htmlより

>総務省統計局の。日本の統計年鑑「第27章国際統計」を調べてみました。
27-5に農畜産物生産量及び漁獲高のデータがあります。
それで、単純に各生産高を世界人口で割って1日当りの供給量に換算してみました。

穀物  :約20億t=約900g
m146 根茎作物:約7億t =約300g
m178 豆類  :約5千万t=約25g
m270 野菜果実:約12億t=約600g
m233 肉   :約2億t =約90g
m297 牛乳  :約5億t =約250g
m271 鶏卵  :約5千万t=約25g
m180 漁獲高 :約9千万t=約40g

これを我々の日常の実感ベースで考えてみると・・・
米なら1合で150g(茶碗に2杯程度)なので、1日6合(茶碗で12杯)!年間で約320kg!になります。現在の年間米消費量が60kg、戦前で150kgなので、有り余るほどの量になる。

こういう現実をリアリティを持って知るためにはどうしたらいいんだろうか。

2008年3月4日火曜日

今日の気づき

しばらく滞ってしまった。。

卒論をようやく提出できたのでリズムも取り戻ってきた。
本のことも書けていないので継続できるようがんばろう。

今日は大きな気づきがあった。
心に留めておきたいのでメモします。



T先生とYさんで、
女性支援の勉強会についてのMTG。

Yさんの発した人生経験と人生観に感銘を受ける。

肺癌と診断されて2年で死ぬと言われたときは
なかなか受け入れることができなかった。

肺を摘出したけど、結局肺がんではなかった。

あのおかげで今は、今日死んでもいいと思える。
ただ、死ぬのは簡単だけど、幸せ感のある死に方がしたい。

病気も子どもの頃に親がいなくなったのもよかったと思える。
どんな環境でもありのままを受け入れられることが大事。

感謝の気持ちを忘れないで生きようと思う。


今まで死生観という言葉を理解できていなかった。
今病院で「あと一年の命です」と言われたらどうだろう。

満足して死ねる?
幸せ感は持てている?
素の自分で一瞬一瞬を判断して生きたい。



そのあとは後輩のNと四時間も早稲田のQUNEで話し込んだ。

学ぶことがたくさん。
水俣病・エイズ・差別部落にフィールドワークに行ってきた
感想を聞いたのだが脱線も含めてがっつり話し込んだ。

印象的だったこと。

・田舎の集落は食文化によって人がつながっている。

・自分たちの集落に誇りを持てる仕組みが必要
⇒水俣:村まるごと博物館

・集落はLocalではない。中央(Central)である。
⇒多極化する時代。日本の地方コミュニティも同じ。

・素ダコになれる勇気(脱・肩書きや地位や名誉やお金)
⇒自分の哲学を持ち、自分を客観的に捉える。
そのために先人の哲学も有用。

・水俣病も差別も、問題ではなく"人"を見なければならない。
⇒本質は"一人"にある。

・個人も集落も"個"で立たなければならない。
⇒タコつぼ構造がコミュニケーションの断絶を生んでいる。
解決するためにはタコつぼではない素ダコの自分を認識し、
一対一で向き合う努力が必要。

・あらゆる問題はコミュニケーションの断絶?
⇒タコつぼ同士の関係で、本質を理解しようとしていない。
幸せはタコつぼ社会では実現できない。
一対一の関係性を作らなければならない。

そのための一つの仕組みが「自分経営」で、
<素の自分を表現し真剣にそれを受け入れてフィードバックする>
という本質的なコミュニケーションを練習する場。